名所・旧跡C無縁仏4000超 『ありがた山』墓石群


 妙覚寺の南側の脇道を登っていき、南門を過ぎると、妙覚寺の墓地が見えて来ます。
 
 この墓地上部からの眺望はとっても良いですよ。 
 ここに眠る人は一体何を見ているのでしょうね。
  
 この墓地の先、坂の一番上の急峻な場所に隙間なく墓石が並べられています。このあたり一帯は地元民の間では「ありがた山」と呼ばれています。
 これらの墓石は関東大震災などにより本郷・小石川・駒込(文京区)付近に野積み・放置されていた無縁仏を、昭和14(1939)年から昭和16(1941)年にかけて、中山日徳道明師を中心とした“白雲山・日徳海”(慈善団体)の人たちが、リヤカーやオート三輪で運び、担ぎ上げたものだということです。

 おびただしい石仏や石碑の数は4,000を超えるといわれ,墓石のほかには地蔵菩薩・観世音菩薩などの石仏が並んでいます。

 現在も日徳海の人たちが草取りや清掃等されているそうで、とても管理が行き届いていると感じました。
 かつて、ありがた山最上部からはよみうりゴルフクラブのコース脇を通って稲城駅に抜けるハイキングコースがあり、私も20年程前には何度も歩いたのですが、現在は南山の開発工事のせいでここから先は通行止めになっていました。
 このアングルから眺めると、その数の膨大さに圧倒されるのですが、それでも本当に4,000以上あるのでしょうか? っと言う疑問がわいてきてしまうのですが。

 という訳で、ざっと計算してみる事にしました。
 これらの墓石は、上部左右、下部左右と4ブロックに分けられて置いてあります。

 大小さまざまな大きさの物があるので、一列ごと置いてある数は相当違いがあるのですが、大体ワンブロック1列当り、多い所で45〜50超、少ない所で25程、これらが1ブロックだけ25列程ですが、残りの3ブロックは30〜35列程並んでいます。

 という訳で、1ブロックだけ800個程でしょうが、他の3ブロックは1,200〜1,300個はあると思われます。
 合計すると、4,000は優に超え、もしかすると4,500個程の墓石が並んでいるのではないでしょうか。

 当時この事業に携わった日徳海の人は一体何人位いたのでしょうか。
 当時の運搬手段を考えると、とてつもない困難を克服した事がひしひしと伝わってきます。
 ここら辺り一帯も開発の波に晒されている訳で、この墓石群もその計画に入っているという噂が聞こえて来ていましたが、これはこのまま未来永劫残し続けてほしいモニュメントと言えるのではないでしょうか。

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